
おはようございます
今週もあっという間の金曜日の朝です
昨日は夕方まで事務所で申請書類の作成
それから某所にて所用対応ののち
クライアント先にて打合せ
夜になり事務所に戻って資料整理など
さて今から805年前の1221年6月5日は
後鳥羽上皇が鎌倉幕府2代執権北条義時に
対して討伐の兵を挙げた日です
世にいう「承久の乱」の始まりの日
4年前の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも
後半最大の山場として描かれ多くの方の
記憶にも残っているのではないでしょうか
鎌倉幕府は源頼朝を武家の棟梁として
東国武士を中心に成立し全国に守護地頭を
配置して徐々に支配体制を整えていきました
しかし当時はまだ全国を完全に
支配していたわけではなく
西国では朝廷の影響力も強く残っていました
そのため実質的には幕府と朝廷による
二元政治の状態が続いていたともいわれています
そんな時代に朝廷側の中心人物として
存在感を放ったのが後鳥羽上皇でした
後鳥羽上皇は後白河法皇による院政下で
幼くして即位しその後土御門天皇に
譲位した後も院政を継続します
土御門、順徳、仲恭の三代にわたり
23年間も政治の実権を握り続けたことからも
その影響力の大きさがうかがえます
また政治家としてだけでなく文化人としても
極めて優秀な人物であったと言われています
自ら和歌を愛し、『新古今和歌集』の編纂を
主導したことでも知られています
しかし承久の乱で敗北すると隠岐へ配流され
その地で1239年に崩御しました
まさに栄光と挫折が交錯する激動の
人生だったといえるでしょう
そんな後鳥羽上皇の歌をいくつかご紹介します
——
ほのぼのと 春こそ空に 来にけらし
天の香久山 霞たなびく
—
み吉野の 高嶺の桜 散りにけり
嵐も白き 春の曙
—
奥山の おどろが下も 踏み分けて
道ある世ぞと 人に知らしむ
—
我こそは 新島守よ 隠岐の海の
荒き波風 心して吹け
—
人もをし 人も恨めし あぢきなく
世を思ふゆゑに もの思ふ身は
——
穏やかな春の情景を詠んだ歌もあれば
配流先の隠岐での孤独や無念を
詠んだ歌もあります
なかでも三首目の
「奥山の おどろが下も 踏み分けて 道ある世ぞと 人に知らしむ」
は、荒れた道を切り開いて進む
強い意志を感じさせる歌です
武家政権が本来あるべき姿へ戻る道を
示したいという後鳥羽上皇の理想や志が
込められているとも解釈されています
歴史は勝者によって語られることが
多いものですが敗者となった人物の
言葉や作品に触れるとその時代がより
立体的に見えてくる気がします
805年前の今日に始まった承久の乱
その背景や後鳥羽上皇の残した和歌に
思いを馳せながら歴史の奥深さを
改めて感じる朝のひとときでした
という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!
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