【考察】大河ドラマ「豊臣兄弟!」第21回!

 

おはようございます
今日から6月が始まる月曜日の朝です

昨日は事務所で申請書類の作成
午後からはクライアント先に出かけて
必要書類などのお預かりと打合せ
夕方になり事務所に戻り申請書類の作成
オンライン申請で3件申請

で月曜日ということで
大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第21回

秀吉と小一郎は、荒木村重に代わって
織田と毛利の間で揺れる播磨攻略に当たる
難しい任務と思われたが村重の仲介で
出会った姫路城代小寺官兵衛は見事な
手腕で播磨の国衆を織田方につけてみせる
一方小一郎は但馬の竹田城攻めを任され
初めて総大将として戦に臨むことに!

今回のストーリーはこちら
大河ドラマ「豊臣兄弟」公式サイト

さて今回は比較的早いテンポでの展開
で、その中でも今日は後半に出ていた
兵庫県朝来市にある「竹田城」の話題

竹田城といえば秋から冬にかけて
雲海に浮かぶ姿から「天空の城」とも呼ばれ
日本を代表する山城として知られています

近年は観光地としても人気ですが
戦国時代には数々の戦乱の舞台となりました

その中でも有名なのが戦国時代後期に起きた
竹田城の戦い

竹田城が築かれたのは室町時代の1441年頃で
山名宗全の一族である太田垣氏が但馬国支配の
拠点として築いたとされています

標高約350メートルの古城山山頂に築かれた
堅固な山城であり但馬と播磨を結ぶ交通の
要衝を押さえる重要な拠点でした

戦国時代になると織田信長が中国地方攻略を
進める中でこの竹田城も大きな戦いに
巻き込まれていきます

1577年に信長の命を受けた羽柴秀吉
中国攻めを開始しますが
その際に但馬国を支配していた山名氏攻略の
重要拠点として竹田城を狙いました
当時の城主は太田垣輝延でした

輝延は天然の要害とも呼ばれる竹田城に
立てこもり徹底抗戦を試みます

しかし秀吉軍は力攻めだけでなく周辺の支城や
補給路を押さえながら包囲を進めました
さらに巧みな調略も用いられ
次第に城方は孤立していきます

最終的に太田垣氏は降伏し
竹田城は織田方の支配下に入りました

この勝利によって秀吉は
但馬国を平定し中国地方攻略への
足掛かりを築くことに成功します

その後竹田城には信長の家臣であった
桑山重晴赤松広秀らが入城し
大規模な改修が行われました

現在私たちが目にすることができる
壮大な石垣群の多くはこの頃に
整備されたものと考えられています

もっとも竹田城の歴史は長くは続きませんでした
関ヶ原の戦いの後の1600年頃に廃城となり
その役目を終えました

しかし城そのものは失われても
山上に残された石垣は今なお
往時の姿を伝えています

戦国武将たちが命を懸けて争った場所が
四百年以上の時を超えて多くの人々を
魅了しているのというわけです

もし竹田城を訪れる機会があれば
美しい雲海だけでなく
その背後にある戦国の歴史にも
思いを馳せてみることもありかも

竹田城跡公式ホームページ

次回、秀吉が記憶喪失に?
第22回「播磨大誤算」

という訳で
今日も一日頑張って行きましょう!

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