裁量労働制度に対する私の考え方、これって暴論?

さて、いまの通常国会の目玉の話題といえば
裁量労働制度の導入の是非でしょうか

超わかり易く御説明をすると裁量労働制度とは
「とりあえずこの仕事は〇〇時間かかったってことでいいよね」
ということで実際にそれよりも早く終わっても
時間がかかったとしても〇〇時間かかった
ということにしてしまうという制度

裁量労働制度を導入したい側から見た
プラス思考の捉え方からすると
「だらだら仕事しないでスパッと効率よく仕事が進むようになるはずで
    働くひとみんなの生産性がよくなる」
という考え方になるんですが

制度導入したくないという立場からすると
「いや、無理難題なノルマを押し付けられていくら時間かかっても決まった
   時間分しか給料払われないようになるに違いない」
というように言われてしまう訳です

この議論、結局は労働の成果を何で測るか?
ということに対してその視点が違うと永遠に
議論は平行線なんだろうなぁと思います

一方は労働の成果とは創出した結果でもう一方は費やした時間
ここが違うと議論は深まることはなく
入り口からデータがどうのこうのという
話が続いて次のレベルにはいかない

何かの課題に対して意見集約するには
まず要点となる考え方、目指すべき方向を
一致させることが大切で、そこがずれると
絶対に議論はかみ合わないことになる

いまの裁量労働制に関する議論は
かみ合わない議論のツボに入って
しまっているような気がします

私は労働の成果は創り出す価値で測るもので
費やした時間で評価するものではない
というのを考え方の基本においています

だから、どんなに時間をかけても
成果を出せなければ評価はゼロだし
成果が出れば時間はかかってなくても高評価

全くおんなじ成果を出したとしても
一方は3時間で終わり一方は10時間かかった
成果が時間であれば10時間やった方が
よく頑張ったってことになって
支払われる対価は高くなってしまう
私なら3時間で成果を出した方に対して
間違いなく高評価をつける

全く同じ結果を出すのであれば
「こんなに長い時間かけてやりました」
「これだけ早く終わらせました」
では当然に後者ですよね

実に単純明快な話だと思うんだけどなあ

ということで私は裁量労働制度大賛成です
こんなのあたりまえの話じゃないのかなあ

そして残った時間は自己啓発や
プライベートの充実に費やすことが
さらに生産性の向上につながる

といっている自分自身の生活が思いっ切り
「起きている時間はほぼ労働時間」
みたいなものなので生産性とか言っても
全然説得力ないのですけど(笑)

短いスペースでの説明なので
誤解があったら御容赦願います

さあ、あなたは裁量労働制度について
どんなふうに考えてますか?