大河ドラマ「どうする家康」第46回!

 

おはようございます
1週間の始まりの月曜日の朝です

昨日は一日中ずっと事務所で作業
普段やれない作業にずっと没頭の一日

で、月曜日ということで
大河ドラマ「どうする家康」第46回

方広寺の鐘に刻まれた言葉が豊臣の復権と
家康を呪う言葉が刻まれていたとして家康は
茶々が人質として江戸に来ること等を要求
大野治長らは激怒し徳川との仲介役片桐且元の
暗殺を計画するなど両家の対立は激化
家康は豊臣との戦を決意し全国大名に呼びかける
大軍で大坂城を包囲した家康は大砲を配備する

ドラマのあらすじに関してはこちらへ
どうする家康公式サイト

大河ドラマも今回を含めてラスト3話

方広寺豊臣秀吉が発願した大仏である盧舎那仏を
安置するための寺として1595年に創建されました
しかし1596年9月5日に起きた慶長伏見地震により
初代大仏は損壊したとされています

その大仏は1607年に豊臣秀頼により片桐且元を奉行として
銅製大仏および大仏殿の再建が企図されることとなりますが
それは豊臣側の意図ではなく、実際は家康が秀頼に対して
方広寺大仏及び大仏殿の再建を勧めてそれを豊臣方が
受け入れて再建工事の運びとなったとされています

それはひとえに豊臣家の財力を蕩尽させるために
家康が意図してやらせてというのが通説とされています

1612年に2代目大仏殿は工事着工から2年でほぼ完成
方広寺大仏・大仏殿の再建が完了したのちに
落慶供養の段取りを進めることになりその段取りは
続いて片桐且元が進め且元は京都所司代の板倉勝重や
家康や公家や朝廷との協議がなされたようです

1614年には梵鐘が完成し片桐且元
南禅寺の禅僧文英清韓に命じて銘文を起草させ
梵鐘に銘文を入れたそうですがそこにあったのが
あの「国家安康」「君臣豊楽」の文字であり
その文字に対して家康が激怒して大阪の陣の
きっかけとなったとされています

ただ方広寺鐘名事件に関しては諸説、言われていて
これまでの通説は最初から徳川家康が豊臣家を
滅ぼすために計画をしていたというものですが

しかし近年では少し違った見方がされるように
なっているようで、それは、徳川の陰謀では無く
純粋に豊臣側の落ち度であったという説

事実当時はある人物の名の文字を使うというのは
とても不吉もしくは失礼なことであったと
されていることや

この文章を書いた南禅寺の文英清韓という僧は
その弁明によると、「家康」「豊臣」というのは
「隠し題」として敢えて「家康」「豊臣」という名を
入れてその威光が現われることを
願ったものという弁明をしていることや
実際に家康はこの件について許そうとしていたようで

そうした事実から徳川言いがかり説ではなく
豊臣側落ち度説が有力となっているんだとか

ただ、ドラマの通り、豊臣家滅亡の直接の
きっかけとなった出来事でありことには
変わりはないようです

さて、次回は大阪の陣後半へ
第47回「乱世の亡霊

という訳で
今日も一日がんばって行きましょう!

「大河ドラマ「どうする家康」第46回!」へのコメント

コメントはありません

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください