おはようございます
3月も真ん中の月曜日の朝です
昨日は一日中事務所で作業
ひたすら申請書類作成と資料整理
で、今日は月曜日ということで
大河ドラマ「べらぼう」の第11回
『青楼美人合姿鏡』が売れず頭を抱える重三郎は
親父たちから俄祭りの目玉に浄瑠璃の人気太夫を
招くことを使命として要求され芝居小屋に
太夫を訪ねるが重三郎の依頼は門前払いされる
鳥山検校が浄瑠璃の元締めだと知った重三郎は
彼女がいる検校の屋敷を訪ねるが。。。。。
ドラマのあらすじに関してはこちらへ
→べらぼう公式サイト
劇中の時代は第10代将軍徳川家治の世ですが
あまりドラマで描かれることもなく
大河ドラマでも家治が出てくるのは
1995年の「八代将軍吉宗」に幼少期の頃の
まだ竹千代であった時のみです
そのようなドラマとしては出番の少ない
徳川家治は1737年に第9代将軍徳川家重の
長男として江戸城西ノ丸にて生まれました
幼少時よりその聡明さに期待をした祖父
第8代将軍吉宗の期待を一心に受けて
寵愛されて育ったといわれています
吉宗は晩年将軍職から退いて家重に
将軍職を譲って大御所となってからは
家治を自らの傍に常に侍らせて将軍となるべき
心得を直に指導したといわれています
その甲斐あってか家治は文武に明るい
聡明な人物であったといわれています
父である9代将軍家重の隠居により
徳川宗家を家督相続し第10代将軍職を継承
父の遺言に従って田沼意次を側用人に重用し
老中松平武元らと共に政治に当初は手腕を発揮
しかし松平武元が死亡すると田沼意次を老中に
任命して幕政のほとんどを任せて
次第に将棋などの趣味に没頭することが
多くなっていったと言われています
ただ家治が親政をしなかった理由については
家治が器ではなかったとか無能であった
という理由ではなく幕府の構造にその
原因があったという説が言われています
当初は綱吉や吉宗のように幕政改革に
手腕を発揮しようと思っていたものの
吉宗時代の改革も一定の成果が得られ
幕府の官僚システムが完成したことから
戦のない平時にあっては特に将軍が
リーダーシップ発揮する場面はなかった
という環境側面があったと言われていて
そういう面からみると家治はある意味
不運な将軍だったと言えるかもしれません
次回、俄祭りを巡り大文字屋と若木屋が争う
第12回「俄(にわか)なる『明月余情』」
という訳で
今日も一日頑張って行きましょう!
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