弘法大師だって筆を誤ることがある

さて西暦804年5月10日は
最澄と空海が遣唐使として
当時の唐の国にはいった日だそうです

この手の話題を聞くにつけ
よくそんな昔のことがきちんと
分かるように後世にきちんと
残されていることに驚きます(笑)

空海と言えば弘法大師と言われ
弘法大師といえば有名なことわざ
「弘法も筆の誤り」があります

御説明するまでもありませんが
「どんな達人でも失敗するもの」
という意味で使われている言葉

失敗は誰にでもありそれは
弘法大師ほどの達人でも例外ではない
重要なのことは失敗しないことでなく
そのことを失敗で終わらせるのか
次に生かすための教訓とするのか
で天と地ほどの差が生まれるということ

このことわざの由来となった
弘法大師の字を書き損じた話は
「今昔物語」おさめられています

京都の大内裏にある応天門という門
弘法は勅命によりこの門に掲げる額を
書くことになりましたが書き終えて
額を掲げてみると「応」の字に
点を打つのを忘れていたことに気づく

すでに門の高い位置に打ち付けられていて
いまさら下ろすわけにもいかない
周りの人はどうしたものかと困り果てる中
弘法大師はどうしたかというと
書き損じた文字の点の位置をめがけて
筆を投げつけて見事に点を打った

この逸話から、弘法も筆の誤りという
ことわざが生まれたと言われています

似たような言葉も多くあります

河童の川流れ
サルも木から落ちる
上手の手から水が漏る
天狗の飛び損ない
釈迦も経の読み違い
智者の一矢

何か失敗したとしたらそれは
あなたへの、そして自分への
「教訓」としましょう
そして次に生かせるように
しっかりと分析・改善することが
成長につながっていくのです
空海は1000年以上も私達に
そのことを伝え続けています
マジ、スゲェって感じですね

さあ、あなたはどんな失敗を
次に生かしてますか?