国境の長いトンネルを抜けるとそこは、、

 

おはようございます
6月2回目の土曜日の朝です
昨日は朝一で品川の東京入管へ
入管での申請が終わると遠方へ出張

さて今から84年前の1937年6月12日は
川端康成の『雪国』が刊行された日だそうです

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」
という文章がとても有名な作品ですね
というかその部分しか頭にありませんが(笑)

実はこの「国境」の読み方について
くにざかい」なのか「こっきょう」と読むのか
という議論があるんだそうなんですね

くにざかい」と読むとする理由としては
この「国境」とは、かつての旧令制国の境界
つまり奈良時代から明治までの地理的区分での
上野国(群馬県)と越後国(新潟県)の境で
この当時の日本国内における旧令制国での
境界の読み方は一般に「くにざかい」と
呼ばれていたんだそうです

一方、「こっきょう」と読むとする理由は
上越国境は「じょうえつこっきょう」と
読むことが一般的なものであって
川端自身も「こっきょう」と読むことを
認める発言をしていたのだそうです

そんな論争もあるこの作品ですが内容は
雪国を訪れた男が、とある温泉町で
ひたむきに生きる女たちの
諸相、ゆらめき、定めない命の
各瞬間の純粋を見つめる物語
永遠に残る日本の名作です

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった

この一文は実は単なる「景色の違い」を
表現しているという訳ではなくて
『国境・トンネル』というところを境目にして
こちら側と向こう側では全然違う世界がある
そう表現しているんだということのようです

境界線っていう線は実はどこにもない
私たちが理由をつけて勝手に線を引いています
私たちは日常の中で様々な線を引いています

もう少し頑張っていたらもしかしたら違う結果になっていたかもしれない

どうせあの人と自分は違う

思えばこういった境界線をたくさん
引いてしまっている様な気もします

境界線の引き方もその用途によって
前向きにも後ろ向きにもなるものです
どうせ引くならば新しい世界の発見に繋がる
そんな風にしていきたいものですよね

もし嫌なことや変えたいことがあったら
自分に都合よく勝手に境界線を引いて
また新しい世界を広げてしまう

マイナスなことがあっても
そこで線を引いて新しい自分でやり直す

そんな気持ちの切り替え方をするのも
たまには有りなのかもしれません

ということで
今日も一日頑張っていきましょう!

 

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