【考察】大河ドラマ「青天を衝け」第36話

おはようございます
また新しい一週間の始まりの月曜日の朝
昨日も一日事務所でほぼ缶詰状態の一日
来客はなく調べものと書類作成など

日曜日ということで大河ドラマ「青天を衝け」第36話

三菱が政府の大隈らに深く食い入る中
栄一は三菱の独占に対抗するために
東京風帆船会社を設立しますが岩崎弥太郎の
巧みな攻撃の前に開業前に暗礁に乗り上げる
政府では台頭する大隈に対して伊藤博文らが画策
世にいう明治14年の政変で大隈を失脚に追いやる

ドラマのあらすじに関してはこちらへ→青天を衝け公式サイト

栄一が運営に力を注いだ東京養育院の成り立ちは
江戸時代に江戸の町民が蓄えた基金「七分積金」と
東京府知事大久保一翁が幕臣時代から描いていた
西洋式の医療福祉施設の構想が結びついたもの
と言われています

七分積金とは1791年天明の飢饉の後に
老中に就いた松平定信が江戸の町の
困窮者救済のために設けた積立基金制度

地主家主たちが町の運営費として拠出する
町会費を節約させその節約分の7割を
自治組織である町会所に積み立てたものに
幕府の資金も足して火災や飢饉の時に
困窮者に米や資金を配ったもの

七分積金の仕組みは継続して明治の1872年に
大久保一翁が知事に就いた東京府に所管が移り
実業家からなる営繕会議所(後の東京商工会議所)
が管理することとなりました

東京養育院は明治新政府により維新の混乱による
困窮者救済のため営繕会議所の付属機関として
設けられることとなり老幼 240人を収容して
日本で最も古い社会事業施設といわれています

その後養育院は東京府営、東京市営、東京都営と
その経営の主体は移されていきますが事業内容も
行路病者,迷子,捨て子,刑期中の病者など様々で
種類の対象者も一括収容から次第に
施設の専門化が行われるに至ります

その初代院長となったのが栄一でしたが
栄一はその後明治大正期を通じ一貫して施設の
基礎づくりに大きな役割を果すこととなりました

1952年に東京都知事直轄の一級事業所として
局と同格に昇格、東京都健康長寿医療センターとして
現在は東京板橋に本院を置く地方独立行政法人として
その運営が引き継がれています

東京都健康長寿医療センター「ウィキペディア(Wikipedia)」より

という訳で
今日も一日がんばって行きましょう!

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