【考察】大河ドラマ「青天を衝け」最終回

【大河ドラマ「青天を衝け」最終回】

おはようございます
新しい一週間の始まりの月曜日の朝
今年も早くも最後の週となりました

昨日は一日中事務所で作業
データの入力や書類作成などなど
途中お昼に来客一件対応

日曜日ということで大河ドラマ「青天を衝け
いよいよ今回で最終回となりました

実業界を引退しても世界平和を一途に求め続ける栄一
ワシントンの軍縮会議に合わせて再び渡米するなど
老骨にムチ打ちながらも精力的に駆け回る
そんな折に関東大震災が発生、救援の最前線に立ち
内外の実業家に寄付を呼びかけ資金を集に奔走
大隈も死去し、かつて共に維新を駆け抜けた仲間の
ほとんどがこの世を去ってしまった中でも
栄一は最後までその想いを緩めることはなかった

ドラマのあらすじに関してはこちらへ→青天を衝け公式サイト

渋沢栄一は1931年11月11日に昭和に入り
満91歳でその波乱に満ちた生涯を閉じました
ドラマの中ではあまり詳しく触れられませんでしたが

最初の正妻千代との間に1男2女
後妻の兼子との間には3男1女
劇中に出てきたくにとの間に2女

に恵まれますがそのほかにも複数の女性との間に
多数の庶子を設けていてその数は総勢で
20人位はいたのではないかと言われています

江戸時代以前には将軍家や大名には側室があったし
明治維新の指導的役割を果たした者の多くは
いわゆる「」がいるのはいわば当たり前でした

薩摩藩出身の松方財政で知られる松方正義は
明治天皇から何人子供がいるのかと尋ねられたが
咄嗟に思い出すことが出来ずに
「後日調査の上、御報告申し上げます」
と奏上したという話がよく語られています

因みに嫡子とは婚姻が結ばれた妻との子供のことをいい
婚姻関係にない妾の子のことを庶子と呼ぶそうですが

とは正妻以外にも囲った女性のことをいい
それはいわゆる不倫の関係とは違い明治後期までは
実際に戸籍上にも「」と記載されいたそうで
法律的にもその存在は公に認められていたようです

「妾」の配偶関係を認めていた時代の法的根拠としては
・「新律綱領」(明治3.12.27)
・「戸籍法」(明治4)
・「太政官布告21号」(明治6)
・「司法省指令」(明治7.2)
・「太政官達209号」(明治8)
に記載があったといわれていますが
その他いくつかの指令などで正妻と同様に妾を
同列に2親等として記載するようにしていたようです

しかしその後法律上から「妾」という用語は
「旧刑法」(明治13.7.12布告)の制定時には
消滅することとなり、それからは制度としては
配偶者と同列に扱うことはなくなったようです
それからは配偶者の同意を得て養子縁組を結ぶ
妾養子(めかけようし)と呼ばれる手段が
多く取られていたようですね

ざっと調べてみたところですが
もっと詳しいところについては
そのうち気が向いたら調べてみようかなぁ

さて今回は変則的に2月からの放送開始でしたが
全41話触れてきました「青天を衝け」も全話終了
次回からは「鎌倉殿の13人」が始まります
主人公は鎌倉幕府2代執権北条義時
1月9日が第1回の放送開始だそうです→鎌倉殿の13人公式サイト

という訳で
今日も一日がんばって行きましょう!

「【考察】大河ドラマ「青天を衝け」最終回」へのコメント

コメントはありません

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください