【考察】大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第25回

おはようございます
新しい1週間の始まりの月曜日の朝です

昨日も一日中事務所で引き篭もりで作業
溜まってしまった作業を地道にすすめる
午後には急な来客があり対応

さて大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第25回

次々と思いがけない出来事が続き
不安にさいなまれる源頼朝は全成に相談するも……
源頼家に長男一幡が誕生するがその一方で
比企の台頭を危惧するりくは時政のたきつける
そんな中、頼家は義時を呼び出しある相談を……

ドラマのあらすじに関してはこちらへ→鎌倉殿の13人公式サイト

ドラマも半年を経過し折り返しということで
ラストは源頼朝のクライマックスでの回でした

1192年3月に後白河法皇が崩御すると頼朝は
同年7月12日に後鳥羽天皇により征夷大将軍に任ぜられる
1193年5月に御家人を集め駿河国で富士の巻狩り
1195年2月には東大寺再建供養に出席するため
頼朝は政子と頼家、大姫らを伴って上洛
大姫の入内を試みるも1197年7月大姫は病死

そして1198年12月頼朝は相模川で催された橋供養からの
帰路で頼朝は体調を崩し翌1199年1月に死去、享年53歳

頼朝の死因については正確な記録はなく
そのため虚実取り混ぜた諸説が語られています

『吾妻鏡』で語られている説が落馬が原因というもの
ドラマでも描かれていた相模川の橋の落成供養に
出席した帰りの道中に頼朝が落馬したという説
しかし落馬自体は結果であって実は脳卒中などの
脳血管障害が事故の前に起きていたとも言われいます
また、実は落馬自体が原因で頭部外傷性の
脳内出血が死因であったとも言われています

『猪隈関白記』という書物で書かれているのが
「飲水の病」というもので今でいう糖尿病
劇中での「のどが渇いた」「疲れた」というセリフや
手のしびれなどは糖尿病の症状だったのかも

『保暦間記』に記されていると言われているのが
亡霊や祟りによって命を奪われたという説
これに近いような場面も出てきてはいましたが
死因としては現実的ではないとは思いますが
これまでの行いから夢の中で亡霊を見て
寝付けなかった可能性というのはあったかも

頼朝は実は暗殺されたという説も諸説あって
語られているのが北条氏に水銀を飲まされた説
愛人の所に夜這いに行く途中に不審者と間違われたとする説
源頼朝の貴族化をよく思わない御家人に襲われたという説
更には源頼朝の浮気癖が治らないことに激怒した政子黒幕説

どれも具体的な根拠のない話ではありますが
ただ、全くあり得ない話という訳ではないような気もします

今回のドラマの構成は糖尿病説が有力のようですが
もしかしたらこの頼朝の死因が今後の展開に
なんらかの形で繋がっていったりはしないかなぁ

という訳で
今日も一日頑張って行きましょう!

「【考察】大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第25回」へのコメント

コメントはありません

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください