生きるとは妥協することである

おはようございます
週の後半戦に突入の木曜日の朝です

昨日は朝一から事務所で申請書類作成
それから茨城県内を何ヶ所か廻り
クライアント先2件と官公庁を3件訪問
最後にもう一件打合せを行う
夕方に事務所に戻って作業といった一日

さて今から128年前の1894年7月28日は
日本の推理小説家の草分け的存在である
江戸川乱歩の命日だそうです

江戸川乱歩というのはペンネームで
その名前はアメリカの作家である
エドガー・アラン・ポーの名前から
つけたというのは有名な話しです

江戸川乱歩作品といえば
怪人二十面相少年探偵団が有名で
私も学校の図書館にあったこのシリーズを
読み始めたのが小説に触れたきっかけでした

江戸川乱歩は1923年29歳のときに
二銭銅貨」という作品て作家デビュー
1925年の31歳のときに「D坂の殺人事件」で
初めて名探偵・明智小五郎が登場しました

1936年42歳のときに初の少年物の小説
怪人二十面相」が雑誌「少年倶楽部」連載開始。
その後も「少年探偵団」発表されました

江戸川乱歩はかなりの人間嫌いで
変わった世界観を持った人物であった
ともいわれているようですね

以外は江戸川乱歩の言葉です

———

孤独に徹する勇気もなく、犯罪者にもなれず、
自殺するほどの強い情熱もなく、
結局偽善的に世間と交わって行くほかはなかった

それまで書いた部分を読み返して見ると、
われながら少しも面白く感じられないので、
私の癖の熱病のような劣等感におそわれ、
どうしても書きつづけられなくなって
しまったのである

結局、妥協したのである。
もともと生きるとは妥協することである

中学一年生のころだったと思う。
憂鬱症みたいな病気に罹って、
二階の一間にとじこもっていた。
暗い中で天体のことなどを考えていた

学校は地獄であった。
そのために、私は社会生活を嫌悪し、
独りぼっちで物を考える癖が、
ますます嵩じて行った

————

いくつか残された言葉を拾ってみましたが
中々かなり個性の強かった人物であったようです

だからこそ、あれだけ歴史に残る作品を
数多く創作出来たのかもしれませんね

最近はシリーズのドラマも
ほとんど見なくなりましたが
また時間があったら読み返してみようかなぁ

という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!

「生きるとは妥協することである」へのコメント

コメントはありません

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください