おはようございます
新しい1週間の始まりの月曜日の朝です
昨日は夕方までずっと事務所で仕事に没頭
午前中には来客2件、午後からは4件
その間にはなんとか申請書類2件完成
何気に12時間近くほほ休憩なしの一日
と、いうことで大河ドラマ「どうする家康」第7回
元康は一つの家のように国をまとめたいと願い家康と名を改める
三河統一に頭を悩ます家康は民衆の間で一向宗が人気と瀬名から聞く
そこで家康は宗徒が集まる本證寺に潜入するとそこでは
住職の空誓が民が苦しむのは武士のせいだと説いていた
その後の家康のある命令がその後の三河を揺るがすことになる・・・・
ドラマのあらすじに関してはこちらへ
→どうする家康公式サイト
松平元康は名を家康と改名、ここで家康の登場
劇中では家康という名前に改名した理由を
「この三河をひとつの家だと考えておるんじゃ」
ということから「家康」としたと説明されていますが
まあ、それはフィクションだとして、では
元康から家康に改名したほんとうの由来については
実は正確なところは分かってはいないようですね
まあ一番の有力な説としてはドラマでもちょっと触れた
家康の遠い先祖にあたるとされる源氏の祖である
八幡太郎源義家の名前から「家」をとったという説
源義家は平安時代陸奥守として前九年の役・後三年の役を指揮
共に戦った藤原清衡は東北地方を平定して奥州藤原氏を築きます
一般にはこの説が通説とされてるようですが
しかし確定言えるほどの具体的な資料はないようです
全く別の説として言われているのがドラマでは
中々個性的なキャラで描かれてい家康の母於大の方の
再婚相手である義父である久松長家から
偏諱として「家」の一字をもらったという説
元康の「元」は烏帽子親であった今川義元から
家康の「家」は義理の父である久松長家から
という事であればそれはそれで筋は通ってますね
家康は一向宗の反乱をどのようにまとめてゆくのか
次回は「三河一揆でどうする」
という訳で
今日も一日がんばって行きましょう!
「【考察】大河ドラマ「どうする家康」第7回」へのコメント
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