おはようございます
週の始まり月曜日の朝です
昨日は一日事務所で作業
午後に来客1件対応
あとは申請書類作成と資料整理
で、月曜日ということで
大河ドラマ「どうする家康」第19回
去り際に自らの死を3年間は秘密にすべきとして
信玄は勝頼にその後のすべてを託して世を去る
その状況を見て信長は将軍足利義昭を京から追放
そのころ家康は信玄との激戦の疲れから
美しい侍女のお万に介抱され心を許してしまう
お万は家康の子を身ごもり瀬名は浜松を訪ねるが・・・・
ドラマのあらすじに関してはこちらへ
→どうする家康公式サイト
お万の方は1548年三河国知鯉鮒明神の社人であった
永見貞英の娘として誕生しました
その後、築山御前の奥女中として仕えていましたが
家康のお手付きとなり後の結城秀康の生母となります
その後のお万についてはドラマによって
色々と描かれ方には違いがありますが
子を身ごもるとすぐに浜松城を出て
重臣の本多重次の差配により宇布見村の
中村家で出産したとされているようです
史料『柳営婦女伝系』(りゅうえいふじょでんけい)は
18世紀に成立した記された将軍の正室側室や乳母など
徳川将軍家に関わった女性の逸話や系図を載せた書物
であるとされていますがその記述にはお万の方について
お万の方が妊娠した際、嫉妬深い築山殿に折檻された
という記述がなされているそうです
劇中にでていたシーンはその話を参照したものと思われます
お万の子於義丸と名付けられますがその後
家康と羽柴秀吉が争った「小牧長久手の戦い」では
講和の人質としてなりその後秀吉の養子となります
その後は結城家の養子となり結城秀康と名乗り
関ケ原の戦いの戦功で初代福井藩主となりますが
その辺はどこまで描かれるのでしょうか
さて次回からはいよいよ築山事件の回の様子
これまでの家康モノドラマと違って
とても仲睦まじい家康と築山御前
どのような形で築山事件が描かれるのか
大賀弥四郎も出てくるようですが・・・・
次回第20回「岡崎クーデター」
という訳で
今日も一日頑張って行きましょう!
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