おはようございます
7月2回目の土曜日の朝です
昨日は午前は申請書類の作成
お昼前に事務所を出て1件所用を済ませ
県内某所のクライアント先を4件と
某官庁を1件廻って夕方に事務所へ戻り
あとはずっと申請書類作成など
さて今から159年前の1864年7月8日は
京都三条小橋にあった旅館「池田屋」で
京都守護職配下の治安維持組織として
動いていた近藤勇率いる新撰組が
尊王攘夷派志士たちを襲撃、世に言う
「池田屋事件」
が起こった日でした
幕末ものドラマでは触れないことがない事件
ドラマの視点が長州側から見たものか
新撰組からかでかなり描かれ方は変わりますが
事件は幕末期に開国気運が高まる中
薩摩藩
長州藩
土佐藩
を筆頭に日本を外国から守るという思想
武力を絡めた極端な方向に発展させていった
いわゆる尊王攘夷派たちは幕府の開国政策に反対し
幕府転覆を目論見み日本各地で数々の
クーデターを画策していましたが、そんな中
「祇園祭の前の風の強い日を狙って御所に火を放ち、
その混乱に乗じて中川宮朝彦親王を幽閉、
一橋慶喜・松平容保らを暗殺し、孝明天皇を
長州へ動座させる(連れ去る)」
との計画があるとの情報を得た土方歳三は
尊王攘夷派の筆頭たちが池田屋に身分を隠して
集まっているとの知らせから頃合いを見図り
池田屋に集まっていた尊王攘夷派を襲撃
約2時間近く及んだとされる捕物の末
この池田屋での騒乱で尊王攘夷派は
多くが捕縛されクーデターは未遂に終わりました
この活躍により新撰組の存在は京都内だけでなく
全国的にも広く知られることとなり幕閣の面々にも
その名を一躍轟かせた契機となりました
しかし、この後歴史は大きく動き
実にこの3年後の1967年には幕府は
大政奉還をすることとなり
敵と見方が入れ替わるということとなります
現在は当時の池田屋の跡地には
「池田屋騒動之址」と刻まれた石碑と
同名を掲げた居酒屋が営業しているようです
という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!
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