おはようございます
週の始まり月曜日の朝です
昨日は某所で一日中缶詰状態で研修に参加
色々と新しい知識を入れることが出来て
業務に活かせていければと思います
で、月曜日ということで昨日は
大河ドラマ「どうする家康」第33回
小牧長久手で秀吉に勝利した家康であったが
秀吉は織田信雄を調略し和議を迫し人質を求めてくる
その上、秀吉が関白に叙せられたという知らせが届き
家康は名代として数正を大坂城へ送るが
数正は秀吉の恐ろしさを痛感する
さらに真田昌幸の裏に秀吉の影を感じた数正は
家康に対して決死の進言をするが・・・・・・
ドラマのあらすじに関してはこちらへ
→どうする家康公式サイト
小牧長久手の戦いでは敗れたはずの秀吉は
この戦の発端であった織田信雄を手名付けて
いくさを終わらせ家康の腰をおりました
そればかりか武士ではなく
公家の最高職である関白の地位につきました
関白というと歴史の教科書で出てくるのは平安時代の
藤原氏の摂関政治のくだりだったかと思います
「この世おば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」
とこの時代の藤原氏の栄華を語るときに
必ず出てくる一句ですがこのあたりの時代は
来年の大河ドラマの舞台になります
さて、ドラマでは簡単に関白になってしまいましたが
秀吉が主人公のドラマであれば大名である秀吉が
なぜ武士の最高位ともいえる征夷大将軍ではなく
公家の最高職である関白に就いたのか?
又は就くことができたのか?
実はこの時点で実態はほとんどないものの
まだ足利義昭がまだ征夷大将軍としてその地位に
あったからいうのも理由の一つと言われています
足利義昭の養子となって将軍職を継承するという
やり方もあったものの秀吉も義昭もそれは
出来なかったということのようです
そこで秀吉は自分の権力の裏付けのために
征夷大将軍に匹敵または超える地位である
関白の職に就くことを目論んだとされています
しかし関白職は当時五摂家と言われる名門の公家が
交代でその地位に就くものとされていました
その五摂家といわれるのが
近衛家、鷹司家、一条家、二条家、九条家
でしたが秀吉はその中の近衛家の前関白の近衛前久の
養子となることで関白になる道を開きました
本当はこの辺の動きについても誰がどのように考え
誰がどのように動いてこの荒療治が実現したのか
描かれればもしかしたら面白かったかもしれません
次回は、秀吉が妹を家康の側室に送り込む
第34回「豊臣の花嫁」
という訳で
今日も一日がんばって行きましょう!
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