おはようございます
3連休の3日目の月曜日の朝です
昨日は1日中事務所で作業
午前中に1件と午後に2件来客対応
で、月曜日ということで
大河ドラマ「どうする家康」第35回
秀吉は実母のなかを、家康の上洛と引き換えに
人質として差し出し岡崎へ送りだす
上洛した家康を秀吉らの歓待をうけるが
その時秀吉は家康に諸大名の前で
諸国の大名の前で一芝居打ってくれと頼まれる
大坂を発つ前夜に家康はある男と出会うが
それは豊臣一の切れ者と名高い石田三成であった
ドラマのあらすじに関してはこちらへ
→どうする家康公式サイト
いよいよ今回、石田三成が登場
ちょっと登場するのが遅かったような気も
しますが石田三成については後日触れます
今回描かれた場面の大きなとことろは
大阪城での家康と秀吉の対面の場面
その場で家康は秀吉に対して陣羽織を所望
そこで家康は諸大名の前で秀吉に対し
「もう二度と殿下に陣羽織を着るような苦労は
この家康がさせることはしない」
と述べ自らが秀吉に従う姿勢をみせた
という有名なシーンで家康と秀吉モノのドラマでは
必ず描かれる見せ場のシーンと言っていいくだり
さらに対面の前夜には秀吉が直々に家康を訪ね
諸大名の前で自分への忠誠を誓ってほしいと
わざわざ頼みに来るというもので
こちらも毎回出てくる有名な場面です
19世紀前半に編纂された江戸幕府の公式史書
といわれる「徳川実紀」によると
江戸城の会見で徳川家康は丁重に挨拶を
してから豊臣秀吉が着ていた陣羽織を所望
「今後は秀吉様に、陣羽織を着て戦場へ
出陣頂くようなご苦労はお掛けしません。
私が合戦の指揮を執ります」
と言い添えて忠誠を誓い諸大名に
豊臣秀吉を天下人として認めさせるための
「茶番劇」を演じたとされています
さらに、江戸時代中期に編纂された
徳川家康の伝記とされる書物である
「武徳編年集成」の中には
会見の前夜に徳川家康のもとを訪れた豊臣秀吉は
「明日の会見ではあなたを家臣として扱うが、
これは太平の世を作るために必要なこと。
自分に対して丁重に挨拶をしてほしい」
と徳川家康の手を取り依頼したと
記されているそうです
以上は全て徳川家によって後世に記された
書物の中での記述ということで
本当に事実としてそのようなやり取りが
あったかは実は色々と見解はあるそうですが
ただしいわゆる「人たらし」と言われる秀吉なら
それくらいのことは実際にあってもおかしくないかも
次回第36回「於愛日記」
という訳で
今日も一日がんばって行きましょう!
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