天の香久山 霞たなびく

おはようございます
6月最初の水曜日の朝です

昨日は午前中はクライアント先にて打合せ
午後からはずっと事務所にて申請書類作成
途中来客2件ほど対応打合せ

さて今から803年前の1221年6月5日は
後鳥羽上皇が鎌倉幕府2代執権である
北条義時に対して討伐の兵を挙げた日
世にいう承久の乱が始まった日だそうです

2年前の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の
後半の山場となった出来事でした

鎌倉を本拠に源頼朝を武家の棟梁として
東国武士を中心に樹立された鎌倉幕府は
東国を中心として諸国に守護地頭を設置
警察権を掌握して統治を確立する一方
実際には西国への支配は不充分な状態で
実際には依然として朝廷の力は強く
幕府と朝廷の二元政治の状態だったようです

後鳥羽上皇は後白河法皇の院政が続く中
幼少で天皇に即位しますが法皇亡き後は
文武両道で新古今和歌集の編纂を行うなど
かなり活動的な存在であり土御門天皇に
譲位をしたのちも土御門、順徳、仲恭と
承久の乱後まで3代23年間に亘って
太上天皇として院政を行い続けました

承久の乱で鎌倉方に敗北したのちは
隠岐に配流され1239年に同地で崩御
こうした激しい生涯であった一方で
後鳥羽上皇は歌人としても知られていました

——

ほのぼのと 春こそ空に 来にけらし 
天の香久山 霞たなびく

み吉野の 高嶺の桜 散りにけり 
嵐も白き 春の曙

奥山の おどろが下も 踏み分けて 
道ある世ぞと 人に知らしむ

我こそは 新島守よ 
隠岐の海の 荒き波風 心して吹け

人もをし 人も恨めし あぢきなく 
世を思ふゆゑに もの思ふ身は

——

とくに3つめの歌は
鎌倉を中心とする武家政権を本来の道に戻したい
という強い志を歌ってたものとも言われています

という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!

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