【考察】大河ドラマ「べらぼう」第2回!

おはようございます
3連休最後の月曜日の朝です

昨日は一日中事務所で作業
珍しく来客のない静かな1日

で、月曜日ということで
大河ドラマ「べらぼう」の第2回

重三郎は吉原の案内本“吉原細見”で吉原に
客を呼ぼうと考え、その序文の執筆を
江戸の有名人平賀源内に依頼することにした
地本問屋・鱗形屋孫兵衛に相談にいくと
自ら説得できれば掲載を約束すると言われ
源内探しに奔走するが………
一方、江戸城内では一橋治済の嫡男豊千代の
誕生を祝う盛大な宴が行われる

ドラマのあらすじに関してはこちらへ
べらぼう公式サイト

今回の大河ドラマの舞台は吉原ということで
NHKはどこまでどのように吉原を描くのか
ということが一部で話題となっていました

吉原は江戸時代に江戸の郊外に作られた
幕府公許の遊女屋が集まる遊廓とその地域の名称で
現在の東京都台東区千束四丁目と三丁目の一部の
エリアにあったといわれています

日本にいつから遊女がいたのかは正確なところは
不明なようですが万葉集に遊行女婦(うかれめ)と
いう言葉が書かれているとこから奈良時代には
旅芸人として放浪しながらそうしたことを
生業としていた人々がいたと考えられているようです

その後、都市の発達から次第に定住するものが増え
一般的に「遊女」という名称が使われるようになり
城下町や門前町が発展に伴い遊女の数も
増加していったといわれているようです

遊郭として政府公認の場所が初めてつくられたのは
1585年頃に豊臣秀吉によって先ずは大坂、次いで京都に
公娼、いわゆる公に認められた娼婦を集めた
遊郭がつくられたとされているようですが

この政策が徳川幕府にも引き継がれていき
幕府は全国に約20カ所の幕府公認遊郭を指定し
遊女や店を取り締まる規制も整えられてゆきました

遊廓の遊女には階級があり最高位の遊女が太夫で
よく時代劇で「〇〇太夫」というのがでてきます
ただ江戸の吉原遊廓では太夫が消滅し宝暦以降は
高級遊女を花魁(おいらん)と呼ぶようになりました

さて次回重三郎は案内本づくりに着手するが……
第3回「一目千本」

という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!

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