遠藤謹助と大阪造幣局「桜の通り抜け」

708年の今日8月29日は
日本初の流通貨幣・銅銭である
「和同開珎(かいほう・かいちん)」
が発行されました日だそうです

ちなみに和同とは当時の元号
貨幣という価値がなければ、
未だに物々交換で
世の中が流通しているのかなぁ
と考えるとこの仕組みを
考えたひとは大発明なのかも

日本の近代における
造幣技術といえば
長州ファイブのひとり
遠藤謹助をご存知でしょうか

1836年萩藩士の家に生まれ
1863年にはいわゆる
「長州ファイブ」の1人として
井上馨、山尾庸三、伊藤博文、井上勝
らと英国に密航して留学
イングランド銀行や造幣局で
造幣技術に接してのち
1866年に帰国します

1853年ペリー来航
1864年禁門の変
1864年馬関戦争
1866年薩長同盟
という歴史と被せてみると
命掛けの留学であった
ことが想像出来ます

維新後は造幣権頭に抜擢
大阪に造幣寮が
設けられた当初
その指揮をとったのは
外国人でしたが
その独断専行に抗議し
謹助は辞任しますが
その後、造幣局と改称され、
謹助は造幣局長として復帰
日本人技術者の育成に努め、
日本人のみによる
貨幣鋳造を成功させます

貨幣鋳造にはさまざまな
工業薬品や機械が必要であり、
その自給自足に取り組み、
日本の近代工業の礎づくりに貢献

大阪造幣局にある
「桜の通り抜け」は、
謹助が市民にも楽しんで
もらおうと発案したもの

まだ行ったことないので
一度行ったみたい