竹下派7奉行って何ですか?

おはようございます
週の2日目、今月最後の火曜日の朝です

さて昨日ネットニュースで
ある元衆議院議員の方の訃報が流れました
謹んでご冥福をお祈りします
その方を紹介するのに際していくつかの記事で
表現がされているワードが
竹下派7奉行」の一人
竹下派7奉行」として知られ、、、
と言った言葉だったんですけども

ここで出てくる「竹下派7奉行」って何でしょうか?

歴史の教科書では豊臣政権を支えた体制を
5大老5奉行といった表現をします
江戸町奉行といえば遠山の金さんか大岡越前
CMで流れる会計ソフトでは勘定奉行があります

が当然現代には奉行なんていう役職はありません
因みに竹下派7奉行をWikipediaで調べると

——
1980年代後半に竹下登、金丸信が
自民党内に結成した経世会(竹下派)において
竹下、金丸の後継者と目された
7人の有力政治家を指した言葉
——

と解説がなされています
確かに最後は竹下系と金丸系に分裂して
後継争いするという結末にはなりましたが
竹下派7奉行の説明の仕方としては
若干説明不足ではないかなぁと思います

経世会(竹下派)の結成に際して特に
中心的な役割を果たした中堅に位置する
当時のニューリーダー7人のこと
私ならこういう説明をするかなぁ

当時の自民党最大派閥田中派は
最盛期には100人を超える勢力でしたが
田中角栄氏はロッキード事件の裁判に勝って
再度政権に復帰する意向であったことから
自派閥からの後継者擁立はその後と考えていて
そのため自派閥からは総裁候補を擁立せずに
三木、福田政権の後の政権である
大平、鈴木、中曽根の3政権を支えました

しかし田中派内の中堅若手からは以前から
自派閥から自分達のリーダーを出したいという
機運が高まりを見せてそれが創政会創立
そして経世会(竹下派)の旗揚げへと繋がります

その流れの中で中心的な役割を果たした
中堅政治家であった7人が後に
竹下派7奉行と言われるようになりました

選挙制度が小選挙区比例代表並立制へと
改革をしたあの政治改革への流れは
経世会分裂、7奉行の分裂が発端のひとつ
また自民党はその後2回政権から離れますが
竹下派7奉行の分裂つまり経世会分裂が
これも大きく影響した流れになったと言えます

とにかく昭和の終盤から平成半ばまでの
日本の政局は常にこの7人の奉行の誰かが
その中心付近にいたと言っていいと思います

しかし今回の訃報により
7奉行のうちすでに存命なのは1人だけ
おそらくマスコミ関係者の方ですら
7奉行の名前がスラスラ言える人は
そう多くはないのかもしれません

小泉政権の誕生により自民党内の
派閥力学は大きく変わることになりますが
現在の小選挙区比例代表並立制によって
安倍政権が長期政権になっているのは
見る人がみたらかなりの皮肉な結果

まぁ正直あんまり国民生活そのものには
関係ない話かとも思いますが、、、、

ということでかなりマニアックな政治の話

ということで今日も一日
頑張って行きましょう!

————–

家賃支援給付金に関するお知らせ
具体的な申請については
こちらのポータルサイトをご覧ください
https://www.meti.go.jp/covid-19/yachin-kyufu/index.html

「竹下派7奉行って何ですか?」へのコメント

コメントはありません

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください