おはようございます
新しい1週間の始まりの月曜日の朝です
昨日はまず朝一でクライアント先に訪問打合せ
それから事務所へもどりずっと書類作成作業
夕方に少し所用で出かけてから、夜に来客1件対応
と、いうことで大河ドラマ「どうする家康」第10回
本多正信が一向宗側の軍師であったことを知り
ますます人間不信に陥り引きこもる家康
そこに鳥居忠吉が訪ねてきて生き残るには
家臣を信じきるか疑わしい者を切り捨てるかの
ふたつにひとつしかないと選択を迫る
ある決意を固めた家康は一向宗側と戦い
優勢に立つとついに正信と対峙
自説を述べる正信に家康はある決断をする
ドラマのあらすじに関してはこちらへ
→どうする家康公式サイト
今回は三河一向一揆のくだりの3回目
このくだりもクライマックスへ
瀬名姫奪還のくだりから主人公の家康以上に
存在感を示していたのが本多正信
智謀を振るった徳川家の名参謀と言われる正信は
本多俊正の次男として1538年に三河で生まれます
身分が低く苦しい生活の中から桶狭間の戦い以降
徳川家康に仕えるようになるも三河一向一揆で
家康と敵対し三河を追放され浪人生活をおくります
その後、松永久秀に仕えるようになり久秀からは
「剛に非ず、柔に非ず、非常の器」
と評されたようですがその後松永久秀が
三好政康ら三好三人衆がとともに将軍足利義輝を
殺害すると出奔してまた諸国を流浪
その後の動向は良くわかっていないとされています
それから大久保忠世の仲介で家康のもとに帰参
正確な帰参の時期は分かっていないようですが
多数説では姉川の戦いの頃から本能寺の変の
少し前位の頃だと言われているようです
家康が旧武田領を併合すると正信は奉行に任じられ
武田家臣団を徳川家に取り組むことに奔走
小牧・長久手の戦いでは
四国の長曾我部に出兵を促す書状を出すなど
ある時期からは家康の外交面もを担当
名実共に家康の側近の軍師としての地位を
確立することとなり活躍
武功で徳川家を支えた徳川四天王とは違い
今でいう官僚的な役人として
家康の信頼を得たと言われています
次回は家康が側室を迎える話となる模様
瀬名はどう動くのか 第10回「側室をどうする!」
という訳で
今日も一日がんばって行きましょう!
「【考察】大河ドラマ「どうする家康」第10回」へのコメント
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