【考察】大河ドラマ「どうする家康」第21回!

おはようございます
週の始まり月曜日の朝です

昨日は一日事務所で作業
申請書類作成と某オンライン申請の作業など

で、月曜日ということで
大河ドラマ「どうする家康」第21回

奥三河の長篠城は武田勝頼に包囲され
城主奥平信昌は岡崎への援軍を求め
鳥居強右衛門がその使者として向かわす
信長は家康の援護の要請を受け二万を
超える軍勢を率いて岡崎へやって来る
そこで信長は家康に対して驚くべき要求を・・・

ドラマのあらすじに関してはこちらへ
どうする家康公式サイト

今回のストーリーは長篠の戦いの前編
戦国版走れメロス「鳥居強右衛門」のくだり

1983年大河ドラマ「徳川家康」でも
このストーリーはきちんと描かれていて
とても印象深かったのでよく覚えています
ただキャラ設定や展開は全く違いますが(笑)

長篠城と岡崎城の道中を川を泳いで
死に物狂いで向かっていたシーンは同じ
最後は磔となってしまうのも同じでした

この鳥居強右衛門ですが歴史の表舞台に
登場するのは実はこの長篠の戦いの時だけで
それまでのことはほとんど知られていません

仕える奥平家も実は直接の家臣ではなく
日雇いの足軽みたいな立ち位置のようで
長篠の戦いの時の年齢は数えで36歳

我が君の命に代わる玉の緒の何いとひけむ武士(もののふ)の道
という辞世の句を強右衛門は残したと伝えられています
ただこの辞世の句の話については諸説あるようです

この鳥居強右衛門の行動は奥平陣営の士気を大いに高め
武田の攻撃から織田徳川の援軍到来まで持ちこたえ
のちに信長は長篠城の味方全員を救うために
自ら犠牲となった強右衛門の存在を知り感銘を受け
強右衛門の忠義心に報いるため立派な墓を
建立させたとも伝えられているようです

またJR東海飯田線にある鳥居駅は
強右衛門の最期の地にちなんでの命名なんだとか

次回はいよいよ長篠最終決戦か「設楽原の戦い」

という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!

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