【考察】大河ドラマ「どうする家康」第31回!

おはようございます
週の始まり月曜日の朝です

昨日は、新暦の8月13日迎え火(盆の入り)
とは言え電話も何本かあり午後には来客対応
あとは申請書類の作成等

で、月曜日ということで
大河ドラマ「どうする家康」第31回

打倒秀吉の意志を固める家康であったが
勢いに乗る秀吉は信長の次男信雄を追放し
着々と天下人への道を進んでいた
信雄から助けを求められた家康は
10万を超える秀吉の軍勢との戦いを決意
次々と先手を打つ秀吉に追い込まれる家康
しかし、ついに小牧長久手の戦いが始まる

ドラマのあらすじに関してはこちらへ
どうする家康公式サイト

本能寺の変で信長がこの世を去ると
後継者の三法師はまだ幼少であったこと
それと次男信雄、三男信孝なども
その器量には難があったことから
織田家は急速に歴史の中心から
存在感が無くなって行きます

実は信長には男子は十一男(一説には十二男)
女子は六女とも十二女とも言われるくらい
たくさんの実子があったと言われています

少なくとも17人多くて20人以上も実子が
あった訳ですが本能寺の変以降ほとんど
織田家は存在感のない存在となったようです

秀吉清須会議織田家の後継者とした三法師
信長の孫であり本能寺の変信長と共に落命した
信長の長男であった信忠がその父
織田家の悲劇は本能寺の変信長とともに
嫡男信忠も一緒にいなくなってしまったこと

三法師の母である徳寿院については
塩川長満の娘説
森可成の娘説
武田信玄の娘松姫説
と諸説が言われているようですが
正確なところは定かではないようです

秀吉の斡旋で織田家の当主となる三法師ですが
小牧長久手の戦いのあと秀吉らの思惑から
織田家信雄が継ぐこととなり当主を外され
坂本城、岐阜城などの居城が与えられて元服
秀吉から秀の一字をもらい織田秀信と名乗り
従四位下行侍従に叙位任官しました

美濃岐阜城主の頃は鵜飼いを保護に尽力し
この鵜飼いの保護は代々岐阜城主に継承されたそうです

その後は朝鮮出兵に従軍するなど
一大名として存在はしていましたが
関ヶ原の戦いでは三成方西軍についたことから
改易となり最後は高野山に入るもその後すぐに
ひっそりと生涯を閉じることとなったようです

どのドラマをみても三法師清須会議以降
出番は全くないことから今回もおそらく
もう出てくることはないのではないでしょうか

次回は秀吉と家康の神経戦、小牧長久手の戦い
第32回「小牧長久手の激闘

という訳で
今日も一日がんばって行きましょう!

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