おはようございます
6月最後の日曜日の朝です
昨日は午前中はずっと事務所で作業
午後からは隣県のクライアント先へ
現地確認と色々と打合せなど
さて今から30年前の1994年6月30日は
昨日もちょっと話題に出てきましたが
当時の日本社会党委員長であった
村山富市氏が第81代内閣総理大臣に
任命された日でありました
1993年8月9日に非自民非共産8党派による
細川連立内閣が発足して自民党は初めて下野
いわゆる55年体制といわれた時代が終わりました
しかし細川内閣は短命で終わり続いて発足した
羽田内閣も少数与党内閣となり総辞職した後
政権復帰を目指した自民党は社会党及び
新党さきがけと連立政権を組むことに合意
このときの内閣総理大臣指名選挙では
一部議員の造反はあったものの
自民党議員の大半と社会党と新党さきがけの
大半の議員が村山氏に投票し新生党公明党など
羽田内閣の与党側が推した海部俊樹氏を破って
社会党の村山委員長を内閣総理大臣に指名
おそらく首班指名で誰が指名されるか
分からない瞬間というのは後にも先にも
戦後この時しかなかったという瞬間
そんな村山内閣でしたがこの時には
日本史に残るような事件や災害が次々と発生
1995年1月17日の阪神淡路大震災の発生
1995年3月20日に発生した地下鉄サリン事件と
そこから始まるオウム真理教による一連の事件発覚
1995年6月21日には日本で初めて強行突入が
実施された函館ハイジャック事件
日本の歴史に残る事件が立て続けに起こり
その対応に追われると言った内閣でしたが
結局村山内閣は約1年7ヵ月の短命に終わり
続く橋本龍太郎政権へと続いていきます
村山氏は欲の無い性格であったと言われていて
大分市議会議員から県議会議員、衆議院議員
社会党委員長を経て内閣総理大臣を務めました
全ては自分の主体的な意思ではない中で
たまたま偶然とめぐり合わせの連続で
周りから背中を押されてやらされてきた
だが総理になった以上は一生懸命に
やる以外にないと腹をくくった
と語り、社会党委員長と首相に就任した時
「なんでわしがこの席に座ることになったんじゃろ」
と言ったといわれていたのが印象的でした
もうかれこれ30年前に日本の政治で
ほんとうにあった出来事でした
くしくも今年は今は東京都知事選挙で
9月には自民党総裁選挙があり
また衆議院の解散総選挙も予想されています
しっかりとした主体性のあるリーダーに
是非日本を引っ張って行ってもらいたいですね
という訳で
今日も一日頑張っていきましょう!
「なんでわしがこの席に座ることになったんじゃろ」へのコメント
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