花の美しさを見つけるのも人間である

おはようございます
週の真ん中水曜日の朝です

昨日は午前中に準備をしてから
入管の千葉出張所で申請をしてから
関東某所にて申請現場の確認と打合せ2件
密にはならないように最大限注意して対応

さて今から73年前の1948年5月12日は
太宰治が 『人間失格』を
脱稿した日なんだそうですね

確か高校のときの教科書に
掲載されていたことから一回読んだかも
あの頃はあの世界はよく理解出来なかったけど
今改めて読み返したら違うかもしれません

で、せっかくなんで、ここでなんとなく
太宰治の言葉を拾ってみたら
色々と出てきました

————

人間は不幸のどん底につき落とされ
ころげ廻りながらも
いつかしら一縷の希望の糸を
手さぐりで捜し当てているものだ

鉄は赤く熱しているうちに打つべきである
花は満開のうちに眺むべきである
私は晩年の芸術というものを否定している

人は人に影響を与えることもできず
また人から影響を受けることもできない

本当の気品というものは
真黒いどっしりした大きい岩に白菊一輪だ

親が無くても子は育つ、という
私の場合、親が有るから子は育たぬのだ

ぽかんと花を眺めながら、人間も
本当によいところがある、と思った
花の美しさを見つけたのは人間だし
花を愛するのも人間だもの

安楽なくらしをしているときは絶望の詩を作り
ひしがれたくらしをしているときは
生のよろこびを書きつづる

————

花の美しさを見つけたり
花を愛するのも人間である

自らを磨くことはとても大切だけれど
周囲の人や物事の素晴らしさを見出し
慈しむことにはもっと価値があること

と、わかっていても
つい自分中心で考え行動してしまう

花の美しさいつも見つけて
その花を愛するように
周りの人達の素晴らしさに
素直に感謝していられる
そんな自分であり続けたいですね

結局は何事も全ては自身であると
いうことなんでしょうね

ということで
今日も一日頑張っていきましょう!

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